| 昭和7年1月 |
斎藤彦次郎が200Lドラム新缶の量産工場として、合資会社
斎藤ドラム製缶工場を横浜鶴見区生麦3−15−14の地に設立。
資本金2万円。初代社長となる。 |
| 昭和13年4月 |
株式会社に改組。資本金15万円に増資。
函館に200Lドラム缶の洗滌修理工場として北海道ドラム缶工業
株式会社を設立。資本金5万円。初代社長となる。 |
| 昭和23年5月 |
中山三郎が取締役社長に就任、初代社長は会長となる。 |
| 昭和23年10月 |
資本金を30万円に増資。 |
| 昭和26年12月 |
横浜工場がJISNo.1161号を以って日本工業規格表示工場
となる。 |
| 昭和27年1月 |
長崎県佐世保市の佐世保重工(株)内に米軍向け200Lドラム
新缶製造設備及び洗條修理のため佐世保工場を設立。 |
| 昭和27年4月 |
資本金を900万円に増資。ジープ缶生産開始、自衛隊向け。 |
| 昭和28年1月 |
北海道ドラム缶工業(株)を吸収合併、200Lドラム新缶設備
を導入、函館工場とする。資本金1,200万円に増資。 |
| 昭和29年2月 |
資本金を1,800万円に増資。 |
| 昭和29年4月 |
横浜市鶴見区菅沢町の横浜製樽工業株式会社を吸収合併し
菅沢工場とする。資本金を2,018万円に増資。 |
| 昭和29年5月 |
佐世保工場がJISNo.3092号を以って日本工業規格表示工場
となる。 |
| 昭和29年12月 |
函館工場がJISNo.3605号を以って日本工業規格表示工場
となる。 |
| 昭和30年7月 |
資本金3,000万円に増資。 |
| 昭和32年11月 |
和歌山県有田市に和歌山工場を新設、これに伴い
佐世保工場を 閉鎖して、設備を和歌山工場に移設。 |
| 昭和33年5月 |
函館工場を新たに18Lブリキ缶の生産も開始、資本金を
3,300万円に増資。 |
| 昭和34年2月 |
和歌山工場がJISNo.6532号を以って日本工業規格表示工場
となる。 |
| 昭和36年11月 |
三菱石油株式会社の水島コンビナート進出により八幡製鉄(株)
三菱商事(株)及び弊社の共同出資で山陽ドラム缶工業(株)を
設立。
岡山県倉敷市水島地区に工場を新設、アスファルトドラムの
製造を開始。 |
| 昭和38年11月 |
資本全を5,000万円に増資。 |
| 昭和40年3月 |
菅沢工場を閉鎖、倉庫とする。 |
| 昭和41年12月 |
社名を斎藤ドラム缶工業株式会社に変更する。 |
| 昭和45年11月 |
北海道の苫小牧に大石油コンビナートを開発する計画に
基づき苫小牧市明野に苫小牧工場を新設する。 |
| 昭和46年8月 |
苫小牧工場開設に伴い函館工場を閉鎖。 |
| 昭和47年1月 |
掘口久夫が取締役社長に就任。 |
| 昭和53年6月 |
苫小牧のコンビナ−トが計画挫折、苫小牧工場を閉鎖し
設備を和歌山工場に移設。 |
| 昭和53年6月 |
苫小牧に出張所開設する。 |
| 昭和54年2月 |
市川俊司が取締役社長に就任する。 |
| 昭和54年7月 |
創始者斎藤彦次郎が79才で死去する。 |
| 昭和59年2月 |
斎藤邦一が取締役社長に就任する。 |
| 昭和63年1月 |
ステンレス鍋底オープンドラムの製造技術を確立。 |
| 平成1年2月 |
ステンレス製品を和歌山工場にて集中生産を始める。 |
| 平成4年8月 |
ステンレス鍋底ドラムをパンボトムとして意匠登録。 |
| 平成14年6月 |
本社及び横浜工場が横浜環状道路北線のインターチェンジ用地
として収容される為、工場を閉鎖。
製品はJFEコンティナー株式会社 へ製造を委託(OEM) |